松尾神社例祭 ― 2006年06月11日 20:26
うう。九時頃のろのろと起床。覚えてない。記憶にない。頭が痛い。おまけに降雨。寒い。そしたら父が、例の凧を運んでいる写真をイオンまで見に行こうというので、出発。イオン市野店にて浜松祭りの写真が四八枚展示されていて、そのうち二枚が成子町で、うち一枚にわたくしが写っていた。早速主催のカメラのキタムラさんへ、譲って欲しい旨伝えに行くが、既に二日前に妹が申し込んでいた。帰宅後、食事をし、お昼に会所へ集合。降雨。時折激しくなったりして、こんなに降るのは記憶にないと、古参の方が言っていた。このお祭りは、町内を回る御神輿に、各戸からバケツや柄杓、更には直接蛇口からホースで水をかける習わしなのだが、こんな雨では既にびしょびしょだし、寒い。会所では酒宴が始まっているが、昨日一昨日の飲酒でどうも調子が悪く、飲めない。ので気合いも入らず寒い。そんなこんなで、隣町から神輿が渡ってきた。今年の成子町は担ぎ手が一七,八人で少ない。しかし私より背の高い方が多いので、それほど肩にこない。それでも前後、左右交代していくうちに、重く過重がかかる時もあり、痛い。会所に着いて、漸く飲酒開始。気合いが入り、隣町との受け渡し場所まで担いでいく。各戸で容赦なく水が浴びせられる。寒いが、酒も入ったし、掛け声も元気にだして乗り切る。東菅原町へ御神輿を渡し会所へ戻る。寒いので焼酎のお湯割り。四時頃宮入準備の為、片付け開始。町内の当番ブロックとして荷物を運んだりした後、宮入へ。しかしここでまた神輿の上に乗る馬鹿がいて、急速に嫌気がさしてきた。更に宮入後の玉串奉奠でも、作法をまるで知らない町代表の方がいたりして、情けなくなる。で、宮司に「土足で神様のおわします神輿の上に乗る事をどう思われますか」と尋ねた。曰く、テレビなどで三社祭の様子が放映されているので、勘違いしてしまうのだろうけれども、折角(お祭りを)やって頂いているので、特に注意はしていない、本来は間違った事であるのだけれども、と言っておられた。浜松祭りでは、落下する時や運搬時等、凧を破損させないようあれだけ気を遣うのに、何故神輿の上に乗る事を氏子同士で注意しないのか判らない。何の為のお祭りなんだろう。何故、松尾神社例祭を毎年毎年やるのだろう。何故お祭りの様な伝統・文化を引き継いでいかなくてはならないのだろう。何故伝統文化を大事にするのだろう。何故先輩・先達・ご先祖の残してきたものを敬うのだろう。僕は全ては「感謝」だと思っている。人間は決して一人では生きられないし、生まれても来られない。今、此処に生きているという事は、即ちお父さんお母さんお祖父ちゃんお祖母ちゃんの御陰であるのだ。その事に感謝すれば、ご先祖が生きてこられた道を大切にする気持ちになる。伝統・文化を大事にするということは、つまり自分が今あることを感謝する事なのだ。更に言えば日本には八百の神という思想がある。山には山の、海には海の、竈には竈の、便所には便所の神様がいらっしゃる。古代、農耕の恵みを感謝した、神様に感謝した。自然からの恵みを神に感謝する。それが日本のお祭りの起源だ。神様に感謝する。僕たちはそういった事に思いを寄せ、お祭りを行う必要があるのではないでしょうか。ただ盛り上げる為に神輿に乗るという事ならば、裸の女性(失礼)でも担ぎ揚げれば更に盛り上がるのではないですか。お祭りってそんなものではないでしょう。成子町でこのブログを読んで頂いている方もいらっしゃると思いますが、これは決して水を差すといった類の物ではなく、あくまでも大袈裟ではなく町内の伝統・文化を大切にしたいという気持ちからだということを感じて頂けたら幸いです。凧を大事にする気持ちと、お父さんお母さんお祖父ちゃんお祖母ちゃんを大事にする気持ち、即ち神様に感謝する気持ちは同じだと思います。
狛犬ではありません ― 2006年06月11日 21:27
今回はあまり遊べなかった
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