蒲田の姐さんを囲む会 ― 2006年06月01日 10:22

蒲田で十九時から。前回の二倍の方々が出席。写真は、梶谷社長のご厚意での二次会にて、ロンリーチャップリンを歌う大熊さん。
荒川及街宣及成青会東京会議 ― 2006年06月03日 12:53

六時起床。七時出発で江北橋から荒川入り。秋ヶ瀬橋で引き返し。扇大橋から帰宅。
本日の走行距離 六一.六二km
最高速度 四九.一km/h
平均速度 二二.二km/h
所要時間 二時間四六分
十三時から新宿駅東口で街宣。横山書記長、小田さんの順で一番最後に。本日は何かと話しかけて来る方が多く、やたらと待ち合わせの若者集団も多く。街宣の最初と最後に君が代を斉唱するのだが、テープの調子が悪く、録音を流せなくなったので、アカペラでやるか、と車上でマイクを持って斉唱。私の歌う君が代をこんなに沢山の人に聞いてもらったのは初めてだ。十五時半終了。帰宅し、十七時に伊勢丹へ。成子町の土屋先輩、成子町から東京へ引っ越してきた夏目女史と待ち合わせ。三丁目の呑者家へ。続いて新潟の地酒があるお店へ。続いて夏目女史の先導でスポーツバーへ。続いて唯尼庵へ。夏目女史帰宅。続いてガルガンチュアへ。0時半頃辞去。途中、自邸に宿泊する先輩はコンビニで麦酒を買う。ガルガンチュアでは最後寝ていた私は、まだ飲み続ける先輩を尻目に帰宅後直ぐに就寝。
mixi ― 2006年06月04日 22:17
mixiに登録はしたものの、こちらのブログと二重に更新する意味があるのかどうか疑問なので、何もしていない。が、本日思い立って野村の名前で検索をかけたところ、野村の「コミュニティ」があり、七十四人の人が参加しているのを発見。早速トピックを作成したら、一人の方から丁寧なメールを頂いた。この方の日記を読ませて頂いたのだが、野村に対する熱い思い同様、素晴らしい内容だった。その他、野村が好きだという女性にも「秘書をしていた古澤と申します・・・」と書き込みをしたのだが、「(どうして自分のページを知ったのか)ちょっとこわい」などと言われてしまった。まあ、いきなり右翼と言われている男が書き込めばそう思う気持ちは判らないではないですが。何も怖くはありませんよ。怖いのはM書記長の新しい総会屋眼鏡。
今夜の加圧 ― 2006年06月05日 21:41
胸と腕。晩飯は焼酎と納豆葱キムチ。
今夜の加圧 ― 2006年06月06日 21:42
肩と胸。晩飯は焼酎と納豆葱キムチ。
下らない仕事 ― 2006年06月07日 21:44
を終え、二十一時過ぎに帰宅。武者修行かよ。マニュアルも整備されていなまま、客先へ行って四苦八苦。どうしてもLAN接続できない。こういう環境で仕事を続ける方って、他にすることがないか、とんまかどっちかだな。晩飯は焼酎と納豆葱キムチ。
明日から帰省 ― 2006年06月08日 19:49
しかし雨らしい。梅雨入り前といっても、結構降っている。溜池山王駅改札口前に、小さな本屋があるのだが、今朝出勤前に覗いたところ、入ってすぐの正面の棚に、「国家の品格」や井沢元彦、などの中に、「日米開戦の真実」小学館・佐藤優を発見。大川周明著を原作にしたこの本、きっと今週御奉仕に参加している三澤さんか横山書記長が買うだろうから、貸してもらおう。この本屋のその棚は結構好い本が並んでいて気に入った。昼頃妹から、浜松のイーオンにて先月の浜松祭りの写真展が開催されていて、弟の初凧を陣屋から凧場まで運んでいるところが写っているとのメール。中日新聞に続いて写真展とは吃驚仰天。
帰省は新幹線 ― 2006年06月09日 19:09
十九時半頃やっと罷業し、東京駅へまっしぐら。何故か二〇時台は浜松着の列車が少なく、二十三分に乗れないとなると、次は二十一時台。売店でキリンラガークラッシク五百ml二本と笹かまを購入し、二分前に乗車。車中で更に赤ワインと缶酎ハイとちくわを購入し、帰省メールなどを配信していたら、文哉君からYUで待つとの返事があり、二十二時半到着。金曜日夜なのに何故かお客は文哉君のみ。次の組長のマスター弘太郎君に、来年は武闘派路線で、中沢・助信町を成敗してくださいよと依頼。二十三時半頃お店を出る。払うと言ったが文哉君は「わざわざ新幹線で帰って来てるんだから」と全部支払ってくれた。有難うございます。それぢやあと、すぐ隣の韓国クラブへ突入したら、弘太郎君から料金が高いと聞いた文哉君が飛び込んできてそのまま連れ出された。で、徒歩帰宅。明日は松尾神社例祭の準備。
祭り準備 ― 2006年06月10日 19:59

初めて綯ったよ
うう。よろよろと七時頃起床。発信履歴をみると、昨夜は複数の婦女子を含む多方面へ電話をかけた模様。まるで覚えていない。記憶がない。今年の松尾神社例祭は、実家を含むご近所が当番なので、直ぐ近くが会所になる。その準備もあるのだが、母が本日フラダンスの発表会とかで、そちらの手伝いもしなくてはならず、忙しい。九時に母を車に乗せ、会場まで。戻って食事をして、午後から会所設営。神輿を担ぐ人は、胴囲に藁を綯ったものを巻く為、それを作るのも準備の内。当番のお宅の車庫を会所にするべく、茣蓙をを引いたり座卓を出したり、料理を運んだり酒を用意したり。次第に人が集まってきたので、藁を綯う事に。毎年ちょっとやってみてはいるのだが、巧くいかず途中で辞めてしまうので、未だにできない。それもどうかと思ったので、弟に要領を聞きながら、挑戦。初めて完成させた。ところどころ逆に縒りをかけてしまった感じ。綯い終わると、酒宴の始まり。焼酎・麦酒、更に弟が地震で被害を被った久保田を作っている杜氏の、地震前に仕込んだ酒を持参したりして、大量摂取。四時半終了。そのまま町内の居酒屋へ移動。そこでも焼酎。県居小学校の番長、野賀先輩が道雄君をいじめるのを止めたりしてるうちに、後から来た副自治会長さんの先導で、なんと昨夜乱入しかけた韓国クラブへレッツゴー。カラオケなんぞした微かな覚えが。副自治会長のご配慮でかなり安くしてもらった覚えが。有り難うございました。そして最後はこれまた成子町ご贔屓の小百々さんで終了。何時に解散したかまるで記憶にない。
初入店の、ザザシティ内韓国クラブ ― 2006年06月10日 20:23

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