板垣さん葬儀 ― 2006年04月02日 12:46

港北区の三会寺にて。新横浜駅で大熊さんと待ち合わせ。到着すると加藤さんとばったり。二人で大熊さんを待つ。程なく大熊さんも到着し、三人でお寺へ。開始時間の十一時が近づくにつれ、続々と同友・同志が訪れる。本堂へ移動し読経が始まり順に焼香を行った。後から聞いた話によると、この和尚様は板垣先輩が八王子医療刑務所で荼毘に付される際、わざわざ出向いて官と掛け合い、戒名を付けて葬儀に立ち会って頂いたとの事でした。ご講話を聞いてからおときの席へ。横山書記長から、元朝日新聞の記者の方の前で「あの事件から何年経ったの」と質問された。もう十二年になるのだね。葬儀終了後、岩上先輩のお誘いで、近くの鮨屋へ五人で移動。焼酎を頂いていると、針谷議長から所在確認の電話が。岩上先輩から呼んであげたら、と言っていただいたので、場所を教え程なく義勇軍関係が五名到着。二階のお座敷に移動し、みんなで板垣さんの思い出話を。どんどん焼酎を摂取。その後は近くの鳥山川沿いの公園へ移動しお花見をしながら持参した缶麦酒を摂取。これ以降の記憶は定かではない。気付いたら伊勢佐木町のコンビニに一人立っており、恐らく直前に居酒屋へみんなで入り、荷物を置いて此処へ来たらしい。場所がどこだかさっぱり判らない。三十分程うろうろしたが、全く判らない。電話もない。進退窮まり、公衆電話で大熊さんのお店の番号を調べ、山ちゃんの携帯番号を聞く事にした。ふらふらと公衆電話を求めて彷徨い歩いていたら、偶然加藤さんにばったり会って「何処行ってたの 僕はもう帰ります」と、お店まで案内してくれた。助かりました。本当に。コンビニに行くと言って一時間も帰って来なかったわたくしへの風当たりはとても強く、針谷議長、山ちゃんから「迷ったんでしょ 判らなくなったんでしょ」としつこく攻撃された。恐らくこの後カラオケに行った筈。そして恐らく桜木町駅から奇跡的に忘れ物もせず、乗り越しもせず0時近くに帰宅した模様。何人かにお電話を差し上げたが、内容は全く思い出せず。皆さん、今日一日大変お世話になりました。そしてRisorgimento!祖国再興も三周年を迎えました。
お休み ― 2006年04月02日 18:04
うう。昨夜はよく無事に帰宅出来たものだ。しかしお花見もできたし、とても好かった。板垣さんも喜んでいたと思う。八時起床。雨が降りそうなのでお花見中止のメールを発信。昼からガルガンチュアのお花見があるかと思いきや、こちらも中止になった模様。何故かがらがら声になってる。カラオケの所為か。午後、針谷議長から電話があり「どうしたんですかその声は」「判りません」「不審な行動が目立ってましたよ」「記憶にございません」夕方から降雨。B嬢から新宿へ踊りに行くとの電話。ぢやあ終わったら連絡してと伝えるも二十三時半にもう帰るとのメール。
初出勤 ― 2006年04月05日 20:14
近いのは好いけれども、あまりにも雰囲気が悪い。ので明日にも辞めたくなった。これをやれと指示を出した人間も実はやり方が判っておらず、マニュアルが存在しない為、判る人は判るがそれを伝える気もない。周りの人も見て見ぬふり。というか判らないので口を出せない。駄目な例の典型的なシステム会社。次々に入社しても次々に辞めていく。そりゃあそうだ。ってな文句を言っても仕様がないので、一ヶ月は勤めるかな。
mixi招待 ― 2006年04月07日 18:01
三月までいたバイト先の同級生・成ちゃんから突然mixiの招待状が来た。以前から入りたいと思っていたので有り難いです。
誰もしやべるな桜が散つてゐるから ― 2006年04月09日 18:03

ガルガンチュアのお花見に参加。風もなく暖かく非常に気持ちの好い座だった。四月一日の葬儀以来、初めて飲酒。昨今これだけ間を空けた事は珍しい。
http://www.ne.jp/asahi/risorgimento/pasta/ginga.htm
「白夜行」読了 ― 2006年04月10日 19:51
遅ればせながら。手法としては「火車」に似ていると思ったが、如何でしょうか。
「幻の女」読了 ― 2006年04月12日 19:38
香納諒一。以前から読みたいと思っていた一冊。
帰省 ― 2006年04月14日 21:14
今週も飲酒せず。この時季、何年か毎の周期で、微熱感が続く事がある。何かだるいし、疲れるし、運動する気になれないし。今年はその年だったみたい。十六日に弟一家が浜松祭りに関しての行事、糸目付を行うと言う事で、お手伝いに行く事にした。罷業後珍しく新幹線で帰省。
天気優れず ― 2006年04月15日 21:22
ザインとロビーは元気そう。明日は糸目付なのに天気が悪そう。午後から弟妹と明日の為の買い出しへ。子供の為の御菓子や、紙皿などを購入。三歳になる弟の長男は今年から幼稚園に通っているのだが、何故か毎日大泣きして町内を騒がせているらしい。長女は正月の時にはまだ這這しかしてなかった筈だが、もうよたよた歩いている。早いもんだねえ。
なんと吃驚晴れました ― 2006年04月17日 21:29

朝から雨。凧は紙と竹で出来ているため、雨では外に出せない。九時頃一旦止んだが、予報では午後からも降るとの事。弟が電話で実家の庭の様子を尋ねてくる。水たまりが残っているし、降らなくても陽が差さなければ乾かないと回答。一応、町内の幼稚園の倉庫をお借りし、お祝いだけをする方向に。十時。気のせいか何となく西の空が明るくなったみたい。雨は完全に上がっている。十時半を過ぎるとはっきりと晴れ間が広がってきた。コンビニで氷を買い占めてやって来た弟と妹で、庭の水たまりに砂場から砂を持ってきて被せる作業を。急遽幼稚園の倉庫をお借りする予定を、実家に変更。予報はあくまで予報ということだ。魚屋さんから鰹のたたき、酒屋さんから麦酒焼酎日本酒、仕出し屋さんからお弁当が届けられた頃には、「いやー晴れて好かったですねえ」という配達してくれた皆さんのお言葉を頂くくらい好天に。十二時半、ラッパ隊と共に、練りを先頭に四畳半の凧が実家にやってきた。大凡四十人の町内の方々が参集してくれた。凧を庭に据えると、施主である弟夫婦が挨拶。「皆さんのおかげで見事な天気になりました・・・」施主の兄ということで、主にビデオカメラ撮影係に扮していたが、徐々に麦酒日本酒を摂取していき、酩酊していった。幾度となく練りで施主夫婦や初子を盛り上げ、最後には私も歯科医の先輩に肩車され、古澤家は皆肩上の人となったのであった。有り難うございました。片付け終わってから、先輩方が集まっているお店へ移動し、更に混迷した。
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