お祭り最終日2006年05月05日 19:24


本日も晴天也。結局心配されたお天気は、三日間とも好天という願ってもない形になった。一昨年組長と施主をやり、今年も糸目付けを雨で順延してきた「雨男」の弟より、教正組長の晴れパワーの方が強かったらしい。会所へ行くと、中日新聞の朝刊に掲載された昨日の糸切り合戦の写真が貼られていた。なんと真ん中に写っている。さもやっているように見えるが、本当に引っ張っていたよ。屋台移動。今夜の設置場所までの道路で、電線・電話線が丁度屋台の屋根と同じくらいの箇所があり、そのために屋根に登り架線をかわす役になった。屋根はトタン葺きでよく滑るので怖い。昨日より少し中心部寄りに屋台を停め、シートをかける。会所へ戻り、凧先発隊で出発。本日は子供凧揚げ大会で、弟が一昨年作った初凧を使うとの事。それも含め三枚陣屋へ持っていく。陣屋で焼酎摂取。だんだんしんどくなってくると、皆さん麦酒より酎ハイのような口当たりが軽いものを好むようになってくる。それでも日本酒を飲む人もいるが。凧場へ移動し準備をしていると、甥、姪と義妹のご両親達が来られた。弟が糸先をやるが、なかなか揚がらない。組長達が代わって揚げ始める。「俊君に代わってやれ」と言ってくれるのだが、子供達に糸を引かせてやりたいから、兎に角揚げない事には始まらない。というわけで、今年も糸先で揚げる事は叶わなかった。凧が安定すると子供達を呼んで、ラッパに合わせ糸を引く。甥も姪も参加し、一生懸命引っ張っている。特に弟は、もう長男が三歳になっているので、自分の凧が揚がっていることを意識させるべく盛んに「凧を見ろ」と甥に叫んでいる。甥も遥か遠くに揚がっている凧を見ながら糸を引っ張る。浜松で男子を授かった父親、また浜松で長男と生まれての醍醐味の一部は、この瞬間にあるといっても過言ではないだろう。当人達ばかりか、親類縁者達にとっても本当に記憶に残る場面になったと思う。子供達が戻って行って暫くして、周辺に揚がっていた他町の凧と複雑に絡み始めた。それによりまた糸切り合戦が始まり、数町が入り乱れて切り合いをしたが、成子の糸は音を立てて切れた。糸が絡み合っているので暫く揚がっていたが、そのうち回転しながら落ちていった。凧下という、常に凧の真下について回る人達が回収してくれる。お昼になったので陣屋へ戻る。焼酎を飲みながら、おにぎりや出店で買って来てもらったお好み焼きを頂く。午後の部は、陣家撤収ということで中止。作業に入る。凧置き場へ行き、凧を積んで、荷台で押さえながら会所へ。来年までトラックの荷台とはさよならだ。屋台置き場で荷物を下ろし、一旦帰宅。屋台先発四時半集合ということで、すぐまた会所へ。屋台のシートを外し、近くの蕎麦屋で夕食。五時半練りが出発。屋台のコースは昨日とほぼ同じだが、町内の細い道には入らず、ずっと国道なので先回りも楽。終盤、福祉会館の隣でお囃子の子供達を下ろし、屋台を引いていた子供達と一緒に練りの練習(笑)。甥も姪も小学生のお姉ちゃん達に手を繋がれ練ってました。それが終わって屋台小屋までみんなで引いていき、格納。会所へ戻り、今夜のお振る舞い会場の金原邸前へ。金原家と婦人部、焼き鳥屋さんの食べ物は、豪華豪華。とても食べがいがありました。途中、金原家の主、Yuのマスターに呼ばれ、金原家の居間で飲酒。出し物が続いているが、テレビでプライド観戦した。そういえば、HERO'Sも亀田兄弟もすっかり忘れていた。恐らく二三時半近くに宴は終了。会所まで練って帰り、最後は組長挨拶で組長を肩車、みんなで練って終了。会所の中で最後の反省会。一人一人順番にということで、施主の兄として初子祝いの御礼を皆さんに申し上げた。0時半解散。明日の片付け集合は珍しく九時。有り難い。

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