帰省2006年05月01日 20:11

罷業後、溜池の交差点で宮ちゃんと発泡酒を飲んでから、東京駅へ。ひかりの指定を買いました。なんて贅沢。更にサイクルスポーツと焼酎など購入し、十九時過ぎに出発。浜松駅は祭り前々日だというのに、何か地味目。久し振りにYuへ。偶然従兄弟がいたので焼酎を頂く。マスターはいたけど、弘太郎君がまだなので待つ事に。二十二時半頃現れた弘太郎君に挨拶して帰宅。

会所開きとお囃子あがり2006年05月02日 20:17

十四時毎年会所になる車庫集合とのことなので、午前中はのんびり。雨が降ったり。午後からは好い天気になり、屋台置き場と会所を何度も往復し、設営。十七時頃、屋台を引っ張ってきて会所前に設置。十八時を過ぎて次第に町内の人々が集まってくる。屋台のエンジンの音。マイクのテスト。毎年これを聞くと明日からの祭りが実感出来る。十八時半、法林寺のご住職による御祓いのあと、お囃子の子供達が三ヶ月間の練習の成果を発表。そしてノーエ節、成子坂音頭で締め。そのあとは珍しく、松本文哉君に東漸寺でお囃子の子供達・お母さん方、婦人部の方達のお食事準備へ。子供達が食べ終えてお母さん達と一緒に帰り、笛・三味線の方々もお帰りになってもまだ婦人部の方々と飲酒。特に特に、Yuのママのお話しがとても面白く、最後にはわたくしの祖父の話にまで及び、二十三時近くまで延長。屋台はとうにしまわれて、練り部隊のお散歩も何処へ行ったやら。会所で戻ってくるの待つ事に。結局みんなが会所へ戻り、解散したのがなんと0時半。うう。前夜からこんなんで好いの? 明日からは六時半集合なんですよ。

初凧及び初子祝い2006年05月03日 20:46


本年は、一昨年に続き、実弟が初子祝いをやることに。今度は長女だ。初はこの実弟一家のみ。成子も人数が増えたといっても、初が一軒だけっていうのも淋しいね。会所六時半集合。お茶を飲む。酒は控えた。屋台の移動。何と今年は十六年ぶりに実家前から出発になったのだ。屋台を運び終えて会所へ戻ると、もう凧場への先発隊が出発する。しかし、本日は施主の親類家族ということで、何とタクシーでゆっくり移動なのだ。あーらくちんらくちん。三日間のうち一日くらいはこんな日があっても好いな。従兄弟や実弟一家が集まりタクシーで中田島へ。晴天も晴天。早速陣屋で飲酒開始。従兄弟にもどんどん飲んで貰う。暫くして準備が整った旨連絡があり、弟が一歳の姪(娘)を、俺が三歳の甥を抱いて陣屋から凧場へ移動。義妹のご両親もお見えになり、いよいよ凧揚げ開始だが、結局組長と野賀さんの手によって初凧を揚げてもらいました。一昨年もそうだったが、「兄弟二人で揚げるだに」(揚げるのだよ)、と言われてましたが。有り難うございました。何回か落ちてちょっとばかり傷ついた凧が、長女の逞しさを象徴しているようで面白かった。好かった好かった。姪も甥も一生懸命凧糸を引っ張っていた。お昼に一旦陣屋へ戻り休憩。午後からまた揚げに行く人達とは別に、タクシーで帰宅。あー楽だ楽だ。十四時には帰宅してのんびり。十八時までお休み。こんなお祭りも好いね。何て言っていたら、何とあのお方が突然やって来なさった。前触れもなく。いきなり。何を企んだか、今年は行くとも何も言わなかった男が現れた。そしてこのあと本多先生は栄光の伝説を打ち立てるのだった・・・。それはまた明日・・・。ともあれ、自宅前に十八時半に皆さん集合。今年も屋台付きで交通整理係。町内を回って屋台を仕舞い、二十一時から法林寺さんの境内をお借りして初子祝いだ。施主家族が待っている中、組長を先頭に若い衆が綺麗に練って入ってくる。幾度と無く繰り返される万歳、施主挨拶、組長口上、鏡開き、余興の数々、そして今年の目玉は白波五人男だった。二十三時過ぎ、おふるまいも終了。皆が喜んでくれたようだ。最後の施主挨拶の最中、長野先輩が「泣くなよ」を檄を飛ばしたが、昼間の凧糸を引っ張る愛娘の姿、そして三百人近い人達のお祝いの宴に、感激しないほうがおかしい。今年も好い初子祝いだった。会所に戻り、反省会で0時半頃解散。

二日目2006年05月04日 22:30


6時半集合。会所の壁に今朝の静岡新聞が貼られていて、昨日の凧揚げ開会式直後の写真にまたまた実弟の初凧が写っていた。今夜は中心部出発なので、屋台を常磐町まで移動。交通整理で先導。シートを被せて会所へ戻る。八時凧先発隊で出発。これが本多先生を見た最後だった。凧置き場から三枚持って陣屋へ。本日は県居ブロックの合戦。麦酒三ケースがかかっているとのこと。十一時開始。最初は旅籠町とやってたと思ったが、後から入ってきた町とぐちゃぐちゃになって結局切れた。今年は中沢や助信みたいな勘違い馬鹿がいなかったので、それなりに疲れたけど面白かった。そういえば今年は滝沢さん関連の初凧があるらしく、山口組が千人来るとか、警察が会場に入れないようにしてるとか、いろんな噂がたってた。お昼に陣屋で飲酒しながら、高校教師をしている町内の先輩と日本談義。朝方この先輩に「俊君は国粋主義者だら?」(笑)と、とんでもないことを言われたので、いろいろ釈明(笑)。午後にもう一回揚げに行き、片付けして会所へ戻る。荷物を片付けて、屋台先発まで時間があるので一旦帰宅。本多先生が横臥されている。何でも気分が優れず凧場でもお隠れになっていたらしい。簡単に飯を食って会所へ行くが既に先発隊は行ってしまったので、子供の引率をすることに。途中連尺の交差点で子供達が学校の先生を見つけたらしく、盛んに呼びかけているのでどの人かと探したら、なんと傍らに立っていたのが小中学校の同級生で、先生は奥さんだった。恐らく二十年ぶりに再会。六日が同窓会なので会えるかなと思っていたらこんなところで。今夜も屋台付きで練部隊を見送り。途中松菱の前で渋滞。全然進まない。長野先輩が成子坂音頭でギャラリーを盛り上げている。十九時半ザザシティ前が二十時ごろ通過。そろそろピカピカ棒を持って先回り。土屋先輩、高井さん細川さんの三人だけで順番に交差点をおさえながら次々車両を止めていく。後から弟も来て交通整理。町内近辺は道が狭いので、屋台が入ると片側も通れないのだ。運転してる人には迷惑な話だが、「すいません屋台が通るもんで」というと大概の人は納得してくれる。会所前で子供達を下ろし、襷をかけている幹部連中で屋台を仕舞いに行く。今夜のお振る舞いは自治会長さん宅。準備の為に先に行く。各種酒、子供達のお茶・ジュース。おつまみは串物から刺身類、麺類等々何でもあり。乾き物ぢやないよ。昼は殆どおにぎりだけど、夜は三日間共豪華豪華。有難い事ですね。初子のお祝いにしろ、今夜・明日のお振る舞いにしろ施主さんやその家のご好意なので、ご負担は大変なものなのだ。二十三時半頃終了か。片付けて会所へ向かうつもりが、用足しに自宅へ戻りそのまま就寝してしまった。

お祭り最終日2006年05月05日 19:24


本日も晴天也。結局心配されたお天気は、三日間とも好天という願ってもない形になった。一昨年組長と施主をやり、今年も糸目付けを雨で順延してきた「雨男」の弟より、教正組長の晴れパワーの方が強かったらしい。会所へ行くと、中日新聞の朝刊に掲載された昨日の糸切り合戦の写真が貼られていた。なんと真ん中に写っている。さもやっているように見えるが、本当に引っ張っていたよ。屋台移動。今夜の設置場所までの道路で、電線・電話線が丁度屋台の屋根と同じくらいの箇所があり、そのために屋根に登り架線をかわす役になった。屋根はトタン葺きでよく滑るので怖い。昨日より少し中心部寄りに屋台を停め、シートをかける。会所へ戻り、凧先発隊で出発。本日は子供凧揚げ大会で、弟が一昨年作った初凧を使うとの事。それも含め三枚陣屋へ持っていく。陣屋で焼酎摂取。だんだんしんどくなってくると、皆さん麦酒より酎ハイのような口当たりが軽いものを好むようになってくる。それでも日本酒を飲む人もいるが。凧場へ移動し準備をしていると、甥、姪と義妹のご両親達が来られた。弟が糸先をやるが、なかなか揚がらない。組長達が代わって揚げ始める。「俊君に代わってやれ」と言ってくれるのだが、子供達に糸を引かせてやりたいから、兎に角揚げない事には始まらない。というわけで、今年も糸先で揚げる事は叶わなかった。凧が安定すると子供達を呼んで、ラッパに合わせ糸を引く。甥も姪も参加し、一生懸命引っ張っている。特に弟は、もう長男が三歳になっているので、自分の凧が揚がっていることを意識させるべく盛んに「凧を見ろ」と甥に叫んでいる。甥も遥か遠くに揚がっている凧を見ながら糸を引っ張る。浜松で男子を授かった父親、また浜松で長男と生まれての醍醐味の一部は、この瞬間にあるといっても過言ではないだろう。当人達ばかりか、親類縁者達にとっても本当に記憶に残る場面になったと思う。子供達が戻って行って暫くして、周辺に揚がっていた他町の凧と複雑に絡み始めた。それによりまた糸切り合戦が始まり、数町が入り乱れて切り合いをしたが、成子の糸は音を立てて切れた。糸が絡み合っているので暫く揚がっていたが、そのうち回転しながら落ちていった。凧下という、常に凧の真下について回る人達が回収してくれる。お昼になったので陣屋へ戻る。焼酎を飲みながら、おにぎりや出店で買って来てもらったお好み焼きを頂く。午後の部は、陣家撤収ということで中止。作業に入る。凧置き場へ行き、凧を積んで、荷台で押さえながら会所へ。来年までトラックの荷台とはさよならだ。屋台置き場で荷物を下ろし、一旦帰宅。屋台先発四時半集合ということで、すぐまた会所へ。屋台のシートを外し、近くの蕎麦屋で夕食。五時半練りが出発。屋台のコースは昨日とほぼ同じだが、町内の細い道には入らず、ずっと国道なので先回りも楽。終盤、福祉会館の隣でお囃子の子供達を下ろし、屋台を引いていた子供達と一緒に練りの練習(笑)。甥も姪も小学生のお姉ちゃん達に手を繋がれ練ってました。それが終わって屋台小屋までみんなで引いていき、格納。会所へ戻り、今夜のお振る舞い会場の金原邸前へ。金原家と婦人部、焼き鳥屋さんの食べ物は、豪華豪華。とても食べがいがありました。途中、金原家の主、Yuのマスターに呼ばれ、金原家の居間で飲酒。出し物が続いているが、テレビでプライド観戦した。そういえば、HERO'Sも亀田兄弟もすっかり忘れていた。恐らく二三時半近くに宴は終了。会所まで練って帰り、最後は組長挨拶で組長を肩車、みんなで練って終了。会所の中で最後の反省会。一人一人順番にということで、施主の兄として初子祝いの御礼を皆さんに申し上げた。0時半解散。明日の片付け集合は珍しく九時。有り難い。

片付け及同窓会2006年05月06日 19:57

ゆっくりできるのに、六時に起床してしまった。朝飯食べて少しまどろんだらもう集合時間。本日も晴天。もう日焼け止めは塗ってないから顔が焼けて赤くなるかも。会所だった車庫をもとに戻すべく、全てのものを表へ運び出し、各種装飾物も外す。トラックに荷物を積み込み屋台小屋へ運ぶ。荷台へ三人乗ろうとしたら「もう終わったよ」。祭りぢやないので駄目ですね。会所組と屋台組に分かれ後片付け。お昼になり一旦中止し、お弁当を頂く。ついでに焼酎も。伊佐美があったので、そのままどんどん飲む。うーむ。すっかり腰をあげる気が起きないが、ふらふらしながら最後の御奉仕。十六時前に終了。今夜は十八時から襷脱ぎなのだが、なんと十六時からすぐ近くのホテルで中学校の同窓会なのだ。毎年やってたみたいなんだけど、最近は祭り中だったので行かなかった。今年は六日なので片付けが終わってから行く事にした。考えてみると初めてかも。帰宅し着替えて十六時十五分に会場へ。歩いて三分。受付に女子が六人ほどいたが、全員俺の事がすぐに判った。変わってないみたい。こちらも四人まではすぐに言い当てたが(笑)、最後の一人に十秒ほど要した。実は彼女を昔好きだったんだけど、判らなかった。すいません。会場内に入り、最近会っているのは三、四人だけで、あとは二十年ぶり以上。大きく変わっている人もいるけど、殆ど誰なのか判った。まあ恐らく全員がわたくしの事件を知っているわけで、しかし遠巻きにするわけでもなく(笑)、女子は積極的に話しかけてくる。有難いですね。そうしてるうちに、男共も安心したのか話しかけてくるのがでてきた。昼から飲んでるし、二日からの蓄積もあるので、結構酩酊しながらお話。二次会は駅前のホテルだそうだが、襷脱ぎに途中からいくので、三次会があったら電話ちょうだいと、S嬢に電話番号を教える。一時間遅れて襷脱ぎ。お囃子の子供達とラッパ隊が一人ずつ挨拶。何年かしたら甥も姪もこの中にいるんだろうね。二十時頃終了し、一旦帰宅したが、弟とまつふみ君から電話があり、小料理屋へ出撃。組長や幹部連中が十五人くらい。焼酎をいただきながら、実は三次会コールがないかなーと気もそぞろ(笑)。「俊一さん、何で電話気にしてるよ」「俊君、かかってこないって」などと鋭い突っ込みを軽く受け流しながら、焼酎。そして二十二時半過ぎに三次会の店に入った旨S嬢から連絡あり。ぢやあ失礼しまーすと素早く離脱。愚図愚図してると「俺も行く」などととんでもない事を言い出す人ばかりなので。十分後お店に到着。両脇を女子に挟まれ至極ご満悦。しかしもうかなり飲酒したので、カラオケもできない。恐らく0時半頃解散か。店の外に出たら雨。いやー、お祭りが終わり後片付けも終わってから降り出すとは素晴らしい。小学校四年生の時だったかな、お母様が亡くなられた朝比奈君と当時の話しになり、彼曰く皆の気遣いが子供心にとても嬉しかったと。僕らは、まだ小さかったけど、彼の前では絶対お母さんに関する話題、とにかく母親という事に関する話しは絶対に出すまいと決めていた。みんな優しかったね。それもこれも僕らのボスだった大貫田中がそう思っていたからみんなに伝わったんだよ、と僕は言った。ガキでもそういった心配りのできる仲間だったよね。降雨の中、歩いて帰宅。

2006年05月07日 20:29

昨夜から降り出した雨は、一日中降り止まず、大雨警報がでたくらい。

帰京2006年05月08日 20:30

始発の新幹線で、そのまま出勤。

久々の画伯邸2006年05月09日 20:31


罷業後、職場から歩いて十分の画伯邸へ。昨日の帰京時に、弟から「本多先生へ」と焼酎と手拭いを預かってきたのだが、その焼酎を使わせてもらおうと先生に電話。「もしもし」「・・・」「もしもし」「ああ」「預かった焼酎、あとから必ず渡すから、今先に使わせて下さい」「・・・」「好いですか」「うう」といった感じで、心の病は晴れていなさそう。取り敢えず焼酎持って画伯邸へ。頭部爆撃事件を機に、禁煙及び普通の酒を飲む様になった画伯。好い事だ。前回訪問した際、絶賛だった「雜賀の郷」がまたあったので摂取。二十一時頃辞去。降雨だったので傘を借りた。

佐原屋で2006年05月11日 20:44

罷業後、留守電のあった大熊さんに電話し、御徒町まで行く事に。なぎら健壱がサンデー毎日に連載中の居酒屋を訪ねる記事に、当佐原屋が掲載され、大熊さんに該当号を持ってきてもらった。知らせを受けてから本屋でさがしたのだが、もう無かったのだ。その後、誕生日前に素晴らしい贈り物を頂き、ただただ感謝。有り難うございました。大熊さん、体調悪そうなので二十一時頃解散。まっすぐ帰宅。